01240 不勉強が身にしみる / 長山靖生
不勉強が身にしみる 学力・思考力・社会力とは何か (光文社新書)
- 作者: 長山靖生
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2005/12/13
- メディア: 新書
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中学・高校生時代、私は学校の勉強をぜんぜんしなかった。「やったほうがいいんだろうな」とは思ったのだが、まったく手に付かなかった。勉強のなかでも特に、受験勉強の必要性は、切実に感じられなかった。人間、必要のないことは、しないものだ。(中略)では、何をしていたのかというと、小説を読み、音楽を聴き、芝居を見に行っていた。模試を受けるふりをして芝居を見に行ったこともある。
どうしよう。
まだそんな感じで生きてるんだけど…。
大学生になってはじめて、私は学ぶことの必要性が分かったわけである。 ふつう、こういうことは中高生のうちには気付くべき事柄に属する。気付いたうえで、必要な勉強に身を入れるのが本筋だ。気付くのが遅い人間のことを世間では「バカ」と呼ぶ。
大学生になってもまだふらふらしているわたしはもう手遅れかもしれない。
「学ぶ」ってなんだろう。
なにを「学べば」いい?
今は好きなことをやっていて、好きな本を読んで、それで…ここ何年かずっと好きなことしか、してないかもしれない。
やりたくないことはやってない。
バイトも、勉強?も、好きなことだけだ…。
このままずっと好きなことだけして生きていきたい。
でも、お仕事はしたい。
何か価値のあること、人のためになること、もしくは生産性のあるお仕事がしたい。
好きなことを仕事にするって、どういうことだろう。
例えば着物は好きだけど、着物を売りたいとは思わないし、着物を着るお仕事をするつもりもない。
もしくは本も好きだけど、それは読むのが好きなわけであって、司書になりたいとか本屋さんになりたいというわけでもない。
ここ最近は、自分のやりたいことができそうな感じがして浮き足立っておりましたが、そう、春だし、春だから浮き足立ってた、けど、違うのかもしれないと思って、というか昨日それに気付いて、また「考え中」の中に戻ってしまった。
うーん、「ほんとうにやりたいこと」とか、「自己実現、自己成長」できることがしたいっていうのは、まじで「ゆとり」そのままで恥ずかしいんだけど、でも、できるなら、せっかくだし自分の人生を自分の描く通りに歩いてみたいな。まだ若いし。いける?いきたい。
そういえば、「学ぶ」ことに関しての記述がありました。
学ぶことは「好きなことを見つける」のと「客観的評価を受ける」のと「嫌いなことでも理解し、水準以上に達する努力をする」というバランスが取れなければ、本当には伸びない。
うーん。
自分をよりよく育てること。自分を愛すると同時に、甘やかさずに厳しく育てること。ときには、他人に言われそうな説教を、先回りして自分自身に語りかけてみること。「自分らしく生きる」とは、自分の欲望に忠実であることではなく、自分の理想に向かって計算高くあることだ。
理想か〜。
理想ならあるかな〜〜。
うーん、もうちょっと考えよう。